2012年御翼9月号その2

片腕のサーファー

  

 ベサニー・ハミルトンプロ・サーファーのベサニー・ハミルトン(22)は、2003年10月31日(当時13歳)、サーフィンの最中、サメに左腕を食いちぎられる。
 ベサニーは、サーフィン好きでハワイに住み着いた両親に育てられ、父親にサーフィンを習い、13歳でプロのサーファーを目指すようになっていた。同時に、自分の人生には、神の大きなご計画があると感じたベサニーは、サーフィンをしていることを、主のために用いてくださいと、母と共に祈っていた。すると、ベサニーは様々な大会に優勝し、スポンサーもつき始める。そんな時に事故にあったのだ。神のご計画はどうなったのかと、本人も家族も当惑する。
 そんな彼女と家族を慰め励ましたのは、ベサニーの教会学校の先生サラが引用した御言葉である。エレミヤ29:11「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
 入院中、「事故に遭ったのは、人々に神のことを伝え、天国に行くお手伝いをするようになるためかもしれない」と語っていたベサニーは、退院すると、神のお役に立ちたいと、事故から僅か1ヶ月後、片腕でサーフィンを再開し、全米大会で入賞を果たして人々を驚かせた。その背後には、信仰の力があったのだ。彼女の両親はクリスチャンで、毎週必ず子どもたちを日曜学校か教会に行かせていた。優しく素直なベサニーは、神の愛に包まれ、その愛に応えようと、強制されたわけでもなく、自分の選択で5歳の頃から信仰を持つ。そして、人生を神に献げる決意をしていた。「私にとって、神さまと固い絆を持つことは、サーフィンよりも大切です。これは、サメに襲われる前も後も、変わらない真実で、神さまを信じていることが、試練を克服できた大きな理由です。納得の行かないことが起こっても、神がわたしに関する大きなプランを持っておられ、上から見守ってくれていると思うと、楽になる」とベサニーは証しする。
 ベサニーが感じた神のご計画とは、片腕をなくした自分の体験を語ることを通じて、誰かの役に立つことである。「様々な災いが起きるのが人生です。だから、私からのアドバイスは、ふとしたことで、簡単に消えてしまうことに、全ての希望と信頼を注ぎこまないことです。おそらく、この世のほとんどのものがそうなのです」と彼女は言う。ベサニーの人生の基盤は、サーフィンではなく、家族、友人、そしてキリストとの愛の関係からくる希望と信頼である。「私には家族、友人、サーフィン仲間がいる。皆、そのままの私を好きでいてくれる。腕が一本でも二本でも、腕がなくても、関係ない。何よりも、私にはキリストとのつながりがある。だから強くいられるし、逆境が良い結果を生むことができると知った。神さまが今起きている出来事を知っておられ、悪から善を生み出すと信じている。誰かが希望を見出す手助けができるなら、腕を失った価値はあったと思う」と彼女は言う。2011年、彼女のことがハリウッド映画となり、2012年6月、日本でも公開され、メディアを通して、世界中の人々に、「イエス様に愛されているのですから、夢を決してあきらめないで」と彼女はメッセージを伝えている。
 ベサニーは、2004年スマトラ島沖地震で発生した津波により、多くの死者が出たタイのプーケット島を、ワールド・ビジョンのスタッフとして訪れた。子どもたちは、まだ海に入ることを恐れていたが、ベサニーがサーフィンを教えながら、皆が再び海に入って遊べるようにしてあげた。その場面が、映画「ソウル・サーファー」では感動的に描かれているが、そのシーンで以下のようにベサニー役が語っている。「主は不思議な方法で働かれるというけれど、私が子どもたちにサーフィンを教えることで、私自身がサーフィンよりも大切なものがあると教えられるとは、誰が想像したことでしょう。サーフィンより、何よりも大切なものは愛です。それは、どんな津波よりも大きく、どんな恐れよりも強い力なのです」と。
 ベサニーは片腕になってからも、サーフィンをすることで、今まで神様のことを知らなかった人たちに、福音を届けることができている。だから、”I surf for Jesus!”(私はイエス様のためにサーフィンをしています)と言っている。
 以下は、クリスチャンの証しではないが、神と人に関する真理を表している。
 1992年バルセロナ・オリンピック、陸上男子400m準決勝での出来事である。優勝候補だった英国代表のデレク・レドモンドは、150m地点で膝の後ろの肉離れで、トラックにうずくまる。他の選手たちは次々とゴールインする。前回のソウル・オリンピック(1988)にも、怪我で出場できなかった彼は、父親と二人三脚でバルセロナを目指してきたのだった。 
 救急隊が彼に近づこうとすると、彼は立ち上がり振り払って、片足でケンケンしながらゴールを目指して走り出す。すると、係員の制止を振り切って男性がコースに乱入してくる。デレクの父親であった。デレクは最初、誰が近づいてきたのか分からず、その人を振り払おうとしたが、父だと気付く。父は「もう走らなくてもいいんだよ」と言った。しかし、デレクは泣きながら、「いや、やらなきゃいけないんだ」と応える。すると父は、「一緒に始めたのだから、一緒にゴールしよう」と言って、痛みに耐え悔しくて泣きながら行こうとする息子の肩を支え、一緒にトラックを歩き始めた。6万5千人の観客が2人の姿を見てスタンディングオベーションをした。父はゴールの少し手前で手を離し、息子を一人でゴールインさせたのだった。
 天の父なる神様も、私たちがあきらめずに神と人のために何かを成し遂げたいと願うならば、神は、「私がお前を創ったのだ。共に始めたのだから、共に終えよう」と言って、私たちを抱え上げ、神の国の祝福へと連れて行ってくださる。

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